材木屋

以前、友人が会社を訪れてくれた際、こんなことを言った。


「材木屋さんって、一般の人でも入れるんですね」


僕はこの台詞を聞いて、驚いた。
そして3秒後、ほんの数ヶ月前自分も同じ思いを抱いていたことを
すぐに思い出した。


そうなのだ。材木屋は、一般人からはそう思われている。


でもそれって、すごく悲しいことじゃない?
だって、木の家に住んでいるのは一般の人たちなのに、
その木に触れ合うことができる材木屋さんに入っちゃいけないと
思われているのだから。


子どものころ、木登りをしたり、丸太の上で遊んでみたり、
「木に関心を持つ」時期がある。
それなのに、そうした好奇心を満たすことができない。
材木屋は危ないと教えられているからだ。


家を建てようと思って、ハウスメーカーから話を聞く。
でもどうも腑に落ちないところがある。
材木屋さんに聞いてみようかな、と思う人はそんなにいない。
材木屋が外からやってくる「業界外の人たち」を拒絶してきたからだ。


人と木を結びつける役目を果たすのは大工でも、林業家でもない。
材木屋であるはずだ。
それなのに、材木屋から人がどんどん離れていく。


今、多くの日本人が、木材のことを知らない。
自分の家に使われている木材が何という木なのか知らない。
それは、僕たちが取り扱っている商品を、
消費者が誰も知らないということだ。


それでいいのだろうか。
僕たちは、人の目に触れない自動車の部品を作っているわけじゃない。
常に人の目に触れ、人の肌に触れる商品を扱っているのだ。


材木屋が、外からやってくる人たちを拒絶するようでは、
僕はこの業界に未来はないと思う。
そこには人の物語も、人の交流も生まれない。
それで、本当にいいのだろうか。



まずは、自分の家族や友人を呼んで、
倉庫やオフィスを見てもらってはどうだろう。
「こんな汚い場所見せられないよ」
そう思った方は、今すぐ意識を変えればいい。


材木屋は木材のショールームである。
その自覚を、忘れてはいけないと思う。
(というかそんなことは当たり前のことなんだけどなぁ)



K松