木の語り部

你好。上海帰りの新入社員、K松です。
勝手ながら、毎週金曜日は僕がブログを書く日、と決めさせて頂きます!!  あ、でも今日は13日の金曜日・・・なのですが、張り切ってですね、木の語り部、というテーマで書いてみたいと思います。


−子供たちへ届けたい「木のよさ」
インドネシアやマレーシアなど、東南アジアに広く分布している「アガチス」という木があります。滝口木材では、そのアガチスを使った加工品などを取扱っているのですが、そのひとつに、中学生が技術の授業で使う教材があります。これでラックや本立てを作るわけです。(この辺は昨日Hさんも取り上げてますよね)

とまぁそんなわけで、滝口木材の工場では、遠く東南アジアからやってきたアガチスの板を1枚1枚検品しながら箱詰めしています。張り切ってアガチスの板を手にした生徒がケガをしないよう、毛羽立っていないか、トゲのようなものがないか、小さな虫食い穴がないか、血眼になって検品しています。ちょっと手間のかかる作業ですが、生徒が木と触れ合う大事な機会なので、僕も気合を入れて箱詰めしました!!

考えてみると、僕自身、子供の頃に木について何かを考えたのは、あの本立てを作ったときくらいのもので、木と正面から向き合うということはほとんどありませんでした。自分が座っている椅子や机、床の板や扉、学校のあらゆるところに木材が使われているというのに、その木について何も学んでこなかったんです。だから、生徒たちがこの板を使って本立てを作る時には、この木材がなんという名前で、どこにあり、どのような過程をたどって今ここにあるのか、ということもぜひ教えて欲しいと思います。



−ものづくりに欠かせない「ストーリー」
1本1本の木に、1枚1枚の板に、ストーリーがあります。アガチスの木が育つまでの膨大な時間。伐採するための手間。山の中から運び出し、船に積んで製材所へ送られ、丸太をカットして板を挽き、さらに加工されて日本へ船で送られる。そして、トラックに載せられ問屋さんに送られ、誰かが箱詰めし、別の誰かが学校へ届け、やっと子供たちの手に届くんです。この長大なプロセスに、いったいどれほどの人たちが係わり、どれほどの汗が流れてきたのでしょうか。

ものの価値を決めるというとき、素材や品質はもちろん、その商品にまつわるストーリーこそが価値を持つと言われます。ルイ・ヴィトンエルメスのバッグが高価なのは、考え抜かれた意匠は当然の事として、そのデザインが生まれたいきさつ、それに込められたメッセージ、職人たちの熟練した技術や想い・・・。そうした「物語」が語られ、皆が共感し、語り継がれてきたからに他なりません。その物語こそ「ブランド」。僕たちは、商品を買うことを通して、その物語を買っているといっても過言ではない。

木材だってそうです。あなたを毎日送り出す玄関の扉、家族団らんを見守ってきた居間のテーブル、我が子の成長を刻んできた柱、愛猫が日向ぼっこしているフローリング・・・身の回りのさまざまな木材に、シェイクスピアや太宰に劣らない「木の物語」が刻まれているはずです。



−今こそ「木」を語ろう
ところが、その物語を語る「語り部」がいなかった。子供に木を渡しただけで語ることをしなかったために、木に本来あったはずのストーリーが消え去り、木材に価値が生まれなかった。そう、言えないでしょうか。もちろん、この1枚のアガチスの板にも、(新米の僕はともかくとして)額に汗しながら箱詰めしている滝口木材の大先輩たちの物語も詰め込まれています。しかし、なお僕たちは、誠心誠意商品を作るということに加え、責任を持って、脈々と続いてきた木の物語を次世代に伝えていかなければならないと思うんです。

アガチスを箱詰めしながら思いました。「ものを大事にする」というのは、単にものを長く使えばいいということでも、傷をつけずに丁寧に扱うということでもなく、「それを作った人たちの努力や流した汗に思いを馳せる」ということではないか。物語を知って初めて、ものを大事に長く使うことができるんだ。そう思いました。

1枚のアガチスを通して子供たちが学ぶものは、僕たち大人の想像をはるかに超えています。それは、「ものを大切にする心」かもしれないし、「木を愛する心」かもしれない。もしかしたら「地球を愛すること」かもしれません。いずれにしても、語り部たちが語ろうとしなければ伝わらないし、逆にもっと語っていくことが出来れば、驚くように、それはまるでアガチスの木が導管からぐんぐん養分を吸い込んでいくように、次の世代に伝わっていくのではないでしょうか。

木の語り部は、学校の先生でも、子供たちの親たちでもいいけれど、ほんとのところでは、僕たち木材に携わる1人1人の人間がなるべきです。僕も、その1人になりたいと思っています。

■K松■