新人のたわごと


この業界に入って1ヶ月が過ぎました。今日は業界のことについて自分なりに感じたことをまとめておきたいと思います。何も知らない人間が何言ってんだ、って思う方もいるかと思いますが、その時は、何も知らない新人の戯言だと笑い飛ばして頂ければと思います。


木材業界を正直に一言でいうと「わかりづらい」です。

流通もそうですし木材そのものも分かりづらいし、種類も多いし木材の会社も多いし、その分インターネットなどにも様々な情報(まゆつばものも)があふれていて、本当にわかりづらいです。これじゃあ一般の消費者の人たちは自分自身の眼で選べません。誰かに頼ることでしか木材を選べないと言う現状も「むべなるかな」って感じです。

消費者が木材のことを何も知らないと言うことは、業者側にとってみれば、適当にごまかすこともできるし、嘘八百を並び立てて金だけもらってとんずらもできるわけです。耐震工事の真似事をして悪質な詐欺事件を起こしている業者もあるみたいですが、要するに、一部の人たちにとっては、木に詳しい客はいないほうがいいのかもしれません。


なぜ業界が分かりづらいかと言うと、たぶん木材業界自身が、流通をわかりづらくすることで商機を見出してきたからだと思います。もちろん、他の農林水産業と違って、木材が本質的に多重構造の流通網を必要としていることは承知しているのですが、その構造的な問題のせいで、生産者と消費者の距離がだいぶ離れてしまいました。それが木材流通の運命なのかもしれませんが。

木の良さを知らない、木の良さに興味をもてない消費者がいるのだとしたら、それを作ってきたのは紛れもなく木材業界だったんじゃないかということです。わけもわからずモノが売れる時代だったので、流通の見える化・見せる化、スリム化をせずに、伝える努力をせずにここまで来てしまった。そうした問題が、おそらく、現在の木材業界の根本的な問題になっているんだと思います。

それをせずに、生産者のことを考えてくれ、もっと高く木を買ってくれ、林業が崩壊状態だ、なんて言ったってなぁ〜んも伝わりません。消費者には、一本の木を切るのにどれだけの手間がかかるのか、山の上まで上るのにどれだけ体力を使うのかが見えないんですから。いくら新聞で悲惨な現状を伝えても、実感が湧かないんですよね。

だから、生産者の顔が見えないから、消費者は残酷なまでに安さや便利さを追い求めるんだと思います。武士が目の前の相手を斬るときの感情と、アメリカからアフガニスタンにミサイルを落とすためにボタンを押す時の感情は同じだと思いますか? 敵との膨大な距離が殺人の感情を麻痺させるように、消費者と生産者の距離が離れてしまったことで、消費者は生産者の苦労なんて知る由もなく容赦なく、品質や値下げや曲がらない木やフシのない木を求めるんだと思います。距離は、想像する力を奪ってしまうんです。


だから、消費者を責めたって問題は解決しない。小学校の子供たちが米作りを体験するように、小さいうちから山に入り、山とは何かを知ってもらうしかない。山や木との距離をもう一度縮めるしかないんです。そして、消費者というより子供たちを味方につけるしかないと思います。頭の柔らかい子供たちに身をもって体験してもらうことで、山への愛着と理解が深まり、木の経験を蓄積してくれるはずです。

現在、家を建てる人たちを山に招いて見学してもらうツアーなどが始まっていますが、それを地域で、業界全体でやるべきです。地域の山に入り、山の恵みを食べ、そして木の温かみや力強さ、厳しさを知ってもらうしかない。そこに地産地消が生まれ、地域への愛情が生まれ、単なる居住スペースに過ぎなかった地方という空間に「ふるさと」という実体が浮かび上がってくるのだと思います。

「木」はスゴいですよ。だって、地方分権地産地消も、エコもモノを大事にする心も、日本人の古き良き精神とライフスタイルも四季を愛する心も、健康でストレスのない生活もゆとりも温かみも、ぜんぶ「木」に入ってるんですから。木を愛する心を育むことこそ、日本再生の最大の鍵と言ったって過言じゃない。1ヶ月働いてみて、僕はその大きな可能性を発見しました。木を愛する日本人を作るのは、僕たちの責任です。僕はそこから逃げずに、対峙していきたいと思っています。
■K松■