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以下に示す2つの文章は最後まで読まなくてもかまいません。

シュルレアリスムは、思想的にはジークムント・フロイト精神分析の強い影響下に、視覚的にはジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画作品の影響下にあり、個人の意識よりも、無意識や集団の意識、夢、偶然等を重視した。このことは、シュルレアリスムで取られるオートマティスム(自動筆記)やデペイズマン、コラージュなど偶然性を利用し主観を排除した技法や手法と、深い関係にあると考えられることが多い。シュルレアリスムを先導したのは詩人である。アンドレ・ブルトンはもちろんのこと、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノスポール・エリュアール、ベンジャマン・ペレ、アントナン・アルトールネ・シャールルネ・マグリットジャック・プレヴェールレイモン・クノーなど一度は齧るものという時代の雰囲気だったといえる。なお、ダダとシュルレアリスムの関係であるが、ダダに参加していた多くの作家がシュルレアリスムに移っているという事実からもうかがえるように、既成の秩序や常識等に対する反抗心という点においては、思想的に接続している。しかし、否定や反抗に徹して、極端な自己破滅や自縄自縛的な自己否定に向かわざるを得なかったダダと異なり、前述の精神分析的な面を取り入れることにより、いい意味でも悪い意味でも、「ソフィスティケイト」されたシュルレアリスムは、ダダとは一線を画す「大人の芸術」といえよう。シュルレアリスムに女性作家が多いのも、この点が理由だとする論者もいる。


と、ここまで書いてきて、この記事にピンと来た方はアートや文学に相当深い見識をお持ちの方と思います。これは、Wikipediaで「シュルレアリスム」を引いたときに出てくる文章の一部を抜粋したもの。どうでしょう。アートに興味のない人にとっては、(日本語で書いているというのに)まったく意味がわからない文章のはずです。読むの、嫌になっちゃいますよね。


木造軸組構法は伝統工法から引き継がれた継手・仕口といった、ほぞ・ほぞ穴による接合方法を基本としている。ただし、柱は伝統工法より細めで、柱を貫通させて水平材を通す貫も殆ど用いられない。このため、接合部は伝統工法より脆弱な傾向にあり、殆どで金物により強化される。また、伝統工法ではまれであった筋交いが多用され、建築基準法でその使用が義務づけられている。近年は木造枠組壁構法である耐力壁の使用が義務づけられており、現在の在来工法は厳密には木造軸組構法ではなくなっている。和小屋は、主に折置組と京呂組の2つがある。折置組は柱の上に直接「小屋梁」を架け、その上に「軒桁」を渡す形式で、京呂組は逆に柱の上に「軒桁」を渡し、その上に「小屋梁」を架ける形式である。折置組は小屋梁と軒桁の接合に「渡りあご」と呼ばれる両部材に掘られたホゾを噛み合わせる仕口を基本としており、強度に優れるが加工には手間がかかるため、かつては主要な構法であったが高度経済成長頃からあまり用いられなくなっている。京呂組は現在の主流な構法で「蟻落とし」と呼ばれる軒桁に掘られたホゾに小屋梁材を落とし込む仕口であるため、加工が折置組よりも容易である反面、部材の接合が弱く羽子板ボルト等の金物で補強する必要がある。京呂組の基本的な構成は、柱の上に渡した軒桁に小屋梁を1間(1.8m〜2m程度)間隔に渡し、梁の上に小屋束を半間(90cm程度)間隔に立て、上に母屋・棟木を渡す。小屋束・棟木・母屋の継手部分には、釘や鎹(かすがい)を打ち、小屋束・母屋・梁・棟木に小屋筋交いを打ち付けて、剛性を強化する。母屋・棟木上に垂木を一定間隔に並べれば屋根の斜面が完成する。なお、梁の長さは2間(3.6m)程度が標準的である。

ここまで書いてきた文章、木材や建築の関係者ならある程度理解できるはずですよね(僕はまだ・・・)。ご存知、木造軸組構法についての文章です。しかし、おそらく木材に特別の関心のない普通の人たちがこの文章を読んでも、やっぱりほとんど理解できないと思います。業界の常識が一般の非常識であることは、木材もアートもたぶん同じです。

が、決定的に違うのは、住宅は「衣食住」にかかわることだということです。多くの人は、アートがなくても生きていくことはできますが、日本社会で生きていくうえで、それなりの住環境はどうしても必要です。家に住む人口とアート人口には雲泥の差があるはずですから、木材をアートと同じテンションで語ってしまうと、みんな困っちゃうわけです。それだけ広い範囲に伝えなければならないのですから、当然です。



先日、いわき市内の住宅展示場を見に行きました。何軒か、大手ハウスメーカーのモデルハウスを見学させていただきました。もちろん、各モデルハウスには担当の営業マンがいるのですが、僕には、その営業マンが語る言葉が、シュルレアリスムについて書かれたWikipediaの文章みたいに聞こえました。

新人とはいえ木材業界に属する僕に、そう聞こえるわけですから、木材の知識を何も知らない人が聞いたらどう思うか。「営業テクニックがないヤツだなぁ〜」と斬り捨ててしまえばそれでおしまいなのですが、前線の営業マンのトークが木材業界の浮沈を左右するわけですから、「誰に、何を、どう語るのか」ということを、個人個人でもう一度、考え直すべきではないかと感じてしまいました。

他社との差別化を図るために、さまざまな工法や技術が採用され、それがそのハウスメーカーのウリになるので、「営業マンとしては話さないわけにはいかない」内容なのでしょうが、一方的に、しかも長時間、初めて聞くような言葉の説明をされても参ってしまいます。



商品の特徴やセールスポイントを語るなとは言いません。しかし、それが、顧客の欲しがっているレベルで語られているかを、第三者の目で確認すべきです。お客様との限られた時間ですから、アピールしなきゃと焦る気持ちもわかりますが、説明のしすぎはかえってマイナスに働き、混乱を引き起こしてしまいます。

僕が記者としての経験則から言えることは、わかりやすく伝えるには、伝え手のエゴを捨てられるかどうか。つまり、思い切って「捨てる勇気」を持てるかどうかにかかっています。もちろん、10から7を引いて3で語るのと、5から2を引いた3で語るのではまったく違う。10を持った上で、どう引き算すればいいのか知っているのが本当のプロだと言えるでしょう。そして、どう引き算するか、つまりどう言葉を選ぶかは、相手の言葉をよく聞かないとわからないということです。



ですから、引き算するためには、まずはとことん聞き役に回ることが大事。その上で、その人が今何を欲しているのかを考え、言葉や伝えたいことの無駄を省いて、“相手の言葉” で語ることが大事なんです。ぎゅっと抱きしめてもらいたいのか、愚痴を聞いてもらいたいだけなのか、具体的なアドバイスを示してもらいたいのか、であればどんな言葉をかけてあげればいいか・・・。たぶん、いい営業マンって女の子にもモテると思いますww

お客さんも彼女も奥さんも、相手が何を欲しがっているかは、相手の話をよく聞くということからしかわからない。もっと上達すると、相手の目を見るだけで何を欲しているかがわかるなんて言いますが、わかっちゃいるのに、「僕が僕が!」と、ついつい自己PRばっかりしちゃうんですよね。僕も早くその「目で理解できる」域に達したいものです。もちろん、営業マンとしてww
■K松■