あの悲劇からはや65年…

A弘です。65年前の8月9日、午前11時2分に長崎市に原爆が投下されました。そして、その3日前の8月6日、午前8時15分には広島市にも原爆が投下され、2市合わせて何と22万人近くの方がこの凶器によって命を落とされました。

間もなく終戦から65年が経過しようとしておりますが、当時の凄惨な体験を伝える語り部は高齢化し、被災した建築物等は老朽化の影響により、保存される事なく取り壊されてしまうケースが多いせいで、そのどちらも年々減少し、伝える媒体が少なくなってきています。そしてそれは、戦争そのものが風化される事に繋がるのではないかと、個人的にはそんな危惧すら持っています。


私は小さい頃、亡くなった祖父(前会長)から中国に出兵していた頃の話をよく聞かされたものですが、それはそれは聞くに堪えない話ばかりでした。馬に乗って連日にわたりヘトヘトになりながら何百kmも移動した事、真冬の極寒の中、満天の星空の下で何度も望郷の思いにくれた事、雨あられの如く銃弾が飛び交い、幾人もの戦友の死を目の当たりにしてきた事、そんな話を耳にするだけで、幼い私にとっては戦争の悲惨さを味わうには十分過ぎるものでした。

ところが、今の若い世代の人々には果たしてそういった戦争の悲惨さが十分に伝わってはいるのでしょうか?私の様に、家族で戦争を体験した人がいれば別ですが、今や自分の親世代は殆どが戦後生まれといった環境下では、それが上手く伝わらずに、戦争の悲惨さそのものが忘れられてしまうのではないでしょうか。


また、この時期になると、毎年の様に広島・長崎での記念式典の映像がテレビで放映され、日本を含む各国の要人達が、核兵器を廃絶しようとか、二度とこの様な悲惨な戦争を繰り返してはならない、等と繰り返し述べていますが、「戦争は悲惨なものだ」という本質的な意識が植え付いていなければ、いくら素晴らしいお題目を唱えても、どこか他人事にしか聞こえて来ないのではないでしょうか? ひいては戦争に対する他人事的な意識が、日本をまたぞろ誤った道へ導きはしないかという危機感を冗談抜きで感じています。

現生に身を置きながら、人の痛みも分からない、バーチャルな世界に意識が飛んでしまっている、半分ロボットみたいな人達も現状では増えてきている訳ですから。


それから、何気なく日常の毎日を過ごしている中で、私達は「自由を与えられている」事への感謝の気持ちを改めて持つべきなのではないでしょうか。確かに2年前のリーマンショック以降、政治・経済ともに不透明感が強く、何かとすっきりしない状況が続いておりますが、65年前に比べれば、衣食住何不自由なく暮らす事が出来ている現在は、「欲しがりません勝つまでは」の時代と比べてみれば、何と幸せなんだろうかと。

また、若く希望に満ちた多くの青年達が学徒出陣に駆り出され、終戦間際には「お国のため」とその身を顧みる事なく特攻隊で出撃し、多くの命が失われました。生きたくとも生きられなかった彼らの無念さを思えば、私達は今、何とちっぽけな事で悩んでいるのだろうかとさえ思ってしまいます。

翻って、我が木材業界にしてみましても、多くの業者が、いつでも・どこからでも・好きなだけ・安く購入出来る自由を謳歌している様ですが、それを頂けている環境の有難さを今一度見つめ直すべきなのではないでしょうか?

少々話が逸れてしまいましたが、もう二度とあの悲惨な戦争が起きる事がない様に、私達も「平和の大切さ」について改めて考えたいものですね。平和な毎日無くしては、商売繁盛など有り得ませんので。

☆A弘☆