こんにちは、みっちです。

3/31付で、長年勤務されていたK成さんが退職されました。

社内の相談役として、ムードメーカーとして、
とても頼りになるK成さん。

入社してから沢山のことを教わりました。
まだまだ沢山教えていただきたいことがありましたし、
毎日顔を合わせて居たのにこれから会えなくなると思うと とても寂しいです。

長い間、大変お疲れ様でした。



さて、震災からはや1年が過ぎました。

11日には、炊き出しをして頂いたり、支援物資を配布して頂いたり、歌を歌って下さったりと色々して頂きました。

11日やお彼岸には、暫らくご無沙汰だったご近所さんはじめ、幼馴染や同級生にも会う事ができ
近況報告や当時を思い出して沢山話をすることが出来ました。



この一年の間に、歪んだり、凹凸だらけの道路もすっかり整備され
仮設住宅の建設や、今後の開発構想、賠償金の話、
イオンモール建設の話、瓦礫の焼却実験、子供の被曝調査などなど
色々なことがありましたし、復興に向けて(なのか?)進んでいるようです。


実際津波の被害に遭った実家周辺の最近の写真です。
家の裏手
今までは住宅で見えなかった海が 今では180度 オーシャンビューです。

瓦礫の撤去前はこんな感じでした。
解体を希望した家は取り壊されています。




家の左わき
かまぼこ工場がありました。



周りはもうすっかりきれいになっています。

先日、広報誌に掲載されていたのですが、
津波の高さは市内でも一番高い8mだったそうです。
ボランティアの方が、残された基礎部分にきれいな花の絵を描いてくださいました。


なんとも寂しい景色です。


そして、一年が過ぎた今、ようやく今後の開発の話があったようで
防波堤を高くしたり、地盛りしたり、山を削って宅地にしたりするようです。
せっかく直した実家は、その構想の真っ只中に位置するようで
悲しいことに立ち退きになる予定だそうです。


去年のNHK紅白歌合戦嵐の桜井翔君が演奏していた津波に遭ったピアノですが、
実は我が母校『豊間中学校』のピアノでした。
これが今の豊間中学校。(体育館)

海側

波が抜けていった様子が分かります。


校庭には、まだ瓦礫がうず高く積まれたままです。

この状況なので、中学校は以前は近隣の学校で間借りしていたのですが、
山側にあって無事だった小学校と合同で再開する運びとなりました。



私の住む団地は、目の前にゴミ焼却施設があるのですが、
一般ゴミに瓦礫を混ぜて焼却する実験が試験的に行われるにあたり、放射線量の測定器が至る所に設置されております。
回覧板で、焼却実験が行われた際の数値が知らされますが、
焼却した際の煙には放射性物質は検出されなかったようですが、残灰からは出てしまっているようです。

洗濯物や人への影響がちょっと心配ではありますが、
瓦礫をいつまでもそのままにもしておけないのである程度は仕方ないのかな・・・と思います。

市内でも、幼児や児童が集まる保育園・幼稚園はじめ小学校、中学校等の学校施設内や、
不特定多数の人々が集まる公園、病院などに設置されております。
これは、私の子供が通う保育園に設置されている測定器です。
ジャジャ〜ン!

ちょっと面白い形ですよね。
上部にはソーラーパネルが付いています。

数値は、今は大体0.08〜0.15の間くらいをいったりきたり・・・といった感じです。

園庭では、表土の入れ替えを行っており 表土の数値もぐっと下がった模様。
表土入れ替えが行われる前は園庭で遊ぶ事がほとんど出来ず、
子供たちもストレスが溜まったり、太ってしまう子も多かったようです。(笑)


一番気にかかるのは食品における放射性物質の値・・・なのですが、
市内で採れた米や野菜などの食品の放射性物質の検査結果は
いわき市のホームページ内にあるURLからアクセスすることが出来ます。


いわき市ホームページ
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/index.html

見せます!いわき情報局
http://misemasu-iwaki.jp/

うまいべ!いわき
http://www.iwaki-city-nousui.jp/

これから、食品の暫定規制も新しくなり、規制値が厳しくなります。
より安心・安全な食品が市場へ出回り、それが消費へ繋がっていけばいいなと思います。


*.〜*smile again from IWAKI*〜.*