アガチス通信 vol.8 「スラバヤ現地レポートその5」

K平です。

インドネシア生活もあっという間に3週間が過ぎました。以前も書いたとおり単調な日々の繰り返しですが、毎日充実している証拠ですね。さて、今週に入ってから夕方になると必ず雨(ゲリラ豪雨)が降るようになりました。ようやくスラバヤも雨季入りしたようです。

アガチスの状況ですが、検品は順調に進んでいます。今週中に2〜3コンテナ程度を積む予定です。作業状況については、また今週中にご報告します!!

さて、これまで4回にわたってレポートしてきたスラバヤレポですが、今回は目先を変えて、ある人物にフォーカスしてみたいと思います。スラバヤでは又の名を “KING OF AGATHIS”。同業界の間では知らない人はいないと言われる、滝口木材スラバヤ事務所所長のH川S一氏をご紹介します。



H川氏(写真・左)は、宮城県富谷町出身の58歳。元々は“目立て”屋(今で言う鋸を整備する職人)の職人として活躍されていました。現地駐在は今年でもう25年を数え、インドネシア人の奥様と2人のお子様の4人家族。趣味は「仕事!の後に飲むビールBINGTANG★」ということで、仕事とビンタンビール一筋で25年もの間、アガチスのために走り続けてきました。

ちょうど弊社が内地挽きから現地挽きへとシフトし始めていた1984年ごろ、製材技術はまだまだ発展途上であった東南アジアに工場を立ち上げるため、当時H川氏が在籍していた会社の力をお借りしたのが、滝口木材とH川氏との出会いだったそうです。

1970年のパプアニューギニアを皮切りに、1984年からはインドネシア・タラカン、その後ジャカルタと渡り歩き、1996年からスラバヤに拠点を移し現在に至るまで、製材機械の設置や目立ての普及、現地作業員の指導・教育のために尽力されてきました。


‐H川氏を突き動かすプライド
一見華やかさのある現地駐在ですが、H川氏から聞かされた数々のエピソードは、それはそれはハードなものばかり。現代っ子の私には到底まねできるものではありません。例えば、アガチスの丸太を検品する為に山奥のキャンプで1ヶ月間生活したときには、朝昼晩毎日3食がカップラーメンとお米のみ。お風呂は川の水。トイレは旧式の簡易トイレで、穴の中には無数の毒ヘビ、挙句、蚊に刺されてマラリアを発病などなど・・・・本当にハードです。ちなみにこの話は“現在進行形”の話で、キャンプ生活は想像を絶する厳しさなのだそうです。

「この程度はまだまだ序の口」なのだそうですが、これだけのネタを笑って話してしまうH川氏の寛大さというか打たれ強さというか、そのタフネスぶりには本当に驚かされました。ある意味、まともな人間には勤まらない仕事?なのかもしれませんが、こんなに苦労してまでH川氏を駆り立てるものは何だったのでしょうか。H川氏は「プライド」だといいます。アガチスにかける想い、そして責任を貫き通すプライド。まさに職人の鑑ですね。

過去何十年とこの商売に携わっている方々は別にしても、同じ業界の若手にとっては、現地の仕事ぶりというのはなかなか知る機会がありません。アガチスが皆さんの手元に届く前には、数々の流通を経ているのですが、何と言っても丸太の素性や鮮度で、材の良し悪しすべてが決まってしまうのです。その最前線では常に危険と隣り合わせ。1本の木のために命をかけて働いている人がいるということを忘れてはならないと思います。





‐偉大なる大先輩と過ごして
今回の出張で改めて、弊社は人に恵まれていると言うことを強く実感しました。H川氏をはじめW部長、K次長もこの2ヶ月間という長期出張に何一つ不満をこぼさずに頑張っておられます。また、そうした先輩たちの働きぶりが高く評価されているからこそ、私たち若手も様々な出会いやビジネスチャンスに恵まれるのだと思います。

今回、H川氏の人脈によって数々のシッパーの方や取引先の方とお会いすることができました。12月15日には、SURA INDAH社の青木さん、MOZUMEさんとお会いすることができ、将来を見据えた、非常に前向きなお話をさせて頂きました。滝口木材の歴史は、こうした取引先の方たちとの繋がりによって受け継がれてきたことも忘れてはならないと思います。

一本の木に携わる人たちの生き様を眼にし、私自身大変身の引き締まる思いです。まだまだ先は長いですが、これからもアガチスを必要としてくれる方たちのために、力をあわせて頑張っていきます!!
■K平■