アガチス通信 vol.13 「アガチスを巡るときがわの旅 第2回」

さて、昨日からお送りしているアガチスを巡るときがわの旅、今日は第2回目です。前回は、建具に込められた職人の思いを伝えて参りましたが、今回は、皆さんに「扉」というものをもう少し深く考えてもらおうと思っています。皆さんも是非一緒に、ドアや扉の事を考えながらご覧下さい。



シリーズ アガチスを巡るときがわの旅 第2回
建具の町で考える、扉の意味



‐フラッシュドア全盛の時代
底冷えのする冬のときがわ路をさらに西に進むと、旧玉川村の一角に大きな工場があります。ときがわの中でも有数のドア生産量を誇る小峯木工所です。現在では、フラッシュドアが主力となっている同工場。建具の町に訪れた時代の荒波を一番先頭で受け止め続けている、と言ってもいいかもしれません。

小峯清社長の案内で、工場の中を見学させて頂きました。中には、ドアの骨組みとなる細い木材があちこちに積み上げられ、職人達が手際よく組み立てていきます。奥にある大きな機械からは、白い引き戸のようなものが次々に流れてきます。これがフラッシュドアです。手にとってみると、驚くほど軽いのが印象的でした。

「今入る注文のほとんどはフラッシュ。建具というのは脇役だから、建物を作るときどうしても一番先にコストを削られてしまう。でも、ドアというのは毎日手に触れるもの。それに家や部屋の中を守る為のものだから、本当は無垢のドアがいいに決まっているんだ」。その言葉には、時代が求めるものを作る事がビジネスだと割り切る商人の心より、無垢への想いを断ち切れない職人の心が滲み出ていました。



全盛の時代を迎えているフラッシュドア



フラッシュドアの骨組み。合板で出来た外側の板を貼り付けるだけで完成する



無垢の建具も生産されているが、その量は年々減り続けている



様々な材料でこしらえられる建具。もちろん、日本の材木もよく使われる



‐生きている“無垢のドア”

工場を後にして向かった倉庫には、出番を待ち続けている芸術品のような無垢の扉が、いくつも残されていました。体の奥から体温を奪ってしまう様な冷気が満ちているというのに、無垢のドアは僅かな温度を保ち続けています。手を触れると、滑らかで吸い付くような感覚が手に残りました。呼吸しているのです。

アガチスで作られたドアもありました。真っ白のフラッシュドアよりもはるかに表情があり、何となく心が落ち着く様な佇まいを感じます。これは無垢の扉にしか表現し得ない表情です。日本の木材ほど個性的な木目はありませんが、ゆったりとした優しさがある。小峯木工所がアガチスに命を吹き込み、その命は全国の住宅で生き続けています。



優しい佇まいのアガチスの扉。経年変化に伴い、使えば使うほどに味わい深くなる



同工場で生産されたアガチスの扉。今か今かと出荷の時を待つ



‐大切なものを守るドアだから

ドアとは、内側と外側を遮断・区分し、中にあるものを外から守るという機能があります。ところが、火災の際に住宅建材などから有毒ガスが発生し、一酸化炭素中毒で命を落としてしまうというニュースを最近よく耳にします。命を守る為のドアが、時に凶器になってしまっているのだとしたら、これほど辛いことはありません。

無垢の木材は熱の伝導率が低く、また接着剤等も使用していません。命を落としてしまう様な有毒物質を吐き出す事はありませんし、実は、皆さんが考えている以上に、木材は燃えにくい素材なのです。もちろん、これは建具だけでなく柱や壁にも言える事なのですが、大手住宅メーカーはこうした事実を報じることはありません。

家を建てるという時、お金を掛けたいところ、少しでも節約したいところがあるのは当然のことです。フラッシュドアにも良いところがたくさんあります。しかし、私は考え直させられました。ドアとは単に開け閉めをするだけのものなのか。家族が毎日手にも目にも触れるものではないのか。ならば、ドアについてもっともっと考えなければいけないのではないか。ドアとは一体何なのか・・・。



職人の技と心が凝縮された扉。見た目の美しさだけでなく、火にも強い


英語のdoorは、複数形doorsになると「家々の集まり」という意味が生じます。扉や戸は、家そのものだと考えられていたのでしょう。だとしたら、doorを真剣に考えるという事は、houseやhomeを真剣に考えるという事ではないかと思うのです。いつ家を建てるかは分かりませんが、そうなったら、まず扉の事を考えてみようかと思っています。建具の町が、私に「扉」や「ドア」の意味を考える機会を与えてくれたのでしょう。ときがわには、そんな木の、見えざる力が働いているのかもしれません。

■K松■