アガチス通信 vol.14 「アガチスを巡るときがわの旅 最終回」

さて、2月からお送りしているアガチスを巡るときがわの旅、今日で最終回となりました。今回は、ときがわの旅を終えて見えてきた建具業界の課題や、これから目指すべき方向等について考えてみます。


−何も語られなかったドア
今回の旅を通して改めてクローズアップされるのは、毎日毎日何度も触るドアなのに、ドアがどの様に作られているのかを目にしたのは初めてだったということ。それと、ドアについて考えてみたのも初めてだったということです。

簡単に比較は出来ませんが、私達はおおまかではありますが、コメを作る過程を知っています。どんな人達が作っているか、大体想像が出来ます。そのコメをどうすれば美味しく炊く事が出来るかを知っているし、そのコメで美味しい炒飯やパエリアを作る事も出来ます。

ところが、これだけ何度も触るドアの事を、一体どれだけの人が、米と同じレベルで語る事が出来るでしょうか。無理ですよね。でも、何故でしょうか。自分の家のドアが何という木で作られ、どういう構造になっているのか誰も知らないのは何故でしょうか。

何故なら、住宅メーカーはそこまで詳しくは説明してくれないからです。ドアは「家の部品」として考えられ、脇役どころかエキストラにも入らない。建具を作る人達でさえ、そう考えていたかもしれません。要は、誰もドアのことを語ってこなかった、ということだと思います。

本来、木材で作られた商品には、ほかの産品と比較にならない程多くの人の手が加えられているはずです。木を植えた人、育てた人、伐った人、運んだ人、製材した人、問屋さん、販売店さん、建具屋さん、工務店さん、大工さん・・・と、たくさんの人達の思いが重ねられています。

しかし、残念ながら、作り手の想いは、この流通の川を下るたびに薄められてきたわけです。建具屋さんにどれ程思い入れがあったとしても、最後には家の部品として考えられてしまう。住む人に「それが何の木で出来ているか」さえ知られずに、命を終えていくわけです。


−建具屋は本当に終わったのか
「建具とは何か」を語れるのは建具屋さんだけです。「住宅メーカーはドアの事をきちんと説明してくれない」、「無垢のドアを薦めてくれない」と嘆くばかりでなく、現状に納得出来ないのであれば、自分達で伝える努力、買ってもらう努力をするしかないわけです。

仮に住宅メーカーがフラッシュドアを採用したのなら、後からドアだけ変えてもらえばいい。私たち消費者は「ドアだけ変える」なんて考えてもみないから、もしかしたらそこに市場が生まれるかもしれません。ライフスタイルに合わせてドアを変えるというスタイルを定着させてしまえばいい。

そうなれば、直接一般のお客を相手にするわけですから、確固たるブランド力も必要です。建具屋さん単体でやるのが難しければ、仕入先の問屋さんや素材の提供元とコラボレーションしてブランドを立ち上げ、浸透させていくしかない。水平連携して体の大きい大手企業に対抗するしかありません。

この他、様々なコラボレーションも考えられます。例えば女性ファッション誌とコラボレーションしてギャル仕様のドアを作るのもアリかもしれません。子供用に、どれだけ落書きしても大丈夫のドアがあってもいいし、著名なアーティストがデザインしてもいいかもしれません。

他の業種で行われている事を、どうして木材が出来ないのか。それは恐らく、家族的経営が続く中小企業が多い事、であるがゆえに水平連携が難しく、足の引っ張り合いをしてきた事、独自にPRをしてこなかった事・・・等々問題を挙げればキリがありません。

ですが、やってこなかったという事は、やれば何かしらの結果が出るという事です。何も考えずに売れた時代はもう終わりましたが、言い換えれば、やり方を考えに考えればまだまだ可能性はある、という事です。今回の旅を通して、私はその事を痛感しました。

30年前、ミネラルウォーターを買って飲む事が、こんなに当たり前になる事を誰が予想したでしょうか。誰も考えなかったところに市場があり、その市場は自分達で作っていくしかない。どうやら、この時代になってようやく「ドア」は出発点を迎えているのもしれません。

■K松■